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07月17日 |
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斉藤和義 |
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名 前 |
斉藤和義 |
出身地 |
栃木県 |
生年月日 |
1966年6月22日 |
血液型 |
O型 |
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山梨学院大学を2年で中退し、地元にいた21歳の時、友人から「音楽をやろう!」と誘われたのがきっかけで単身上京。音楽活動に入る。テレビのオーディション番組などに応募しつつ活動を続け、1994年に3rdシングル『君の顔が好きだ』が、大阪を拠点とするFM802の3月の邦楽ヘビーローテーションに採用され、これを機にまず関西圏での知名度が上昇した。
その後もCM曲などで知名度をあげ、ファン層を拡大。PUFFYなどへの楽曲提供、兄弟デュオ平川地一丁目のプロデュースなどを手掛ける。ライブハウスから武道館・フェス出演もこなし、97年にリリースされた「歌うたいのバラッド」は、2004年にBank Bandがカバーしたことで再び脚光を浴びた。
03年に十二指腸潰瘍穿孔を患い、以後半年間の活動休止。斉藤本人は「本当に音楽を辞めようかとさえ思った」と語っているが、デビューから15年目の2007年から2008年にかけては一気に知名度がアップ。リクルート社『ゼクシィ』に作ったテレビCM曲「ウエディング・ソング」が話題になり、その後、別のCM曲「やぁ 無情」で、第50回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞している。
他のミュージシャンとの交流にも精力的で、09年5月に急逝した忌野清志郎とは特に親交が深く、清志郎を愛する多数のアーティストが結集した映画『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコー!!!〜』にはただ一人、3度全てに出演している。
2011年4月1日から、東日本大震災へのチャリティーライブ「斉藤和義 on USTREAM 『空に星が綺麗』」を5週続けて敢行。同時期に、日本政府や原発保有電力会社を批判した曲を披露し、話題となった。13年にはLOUDNESSのメンバーが中心となって行われたがん疾患啓発チャリティーライブにも参加し、社会派のイメージも定着しつつあるようだ。
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2012 |
デビュー20年目にしてNHK紅白歌合戦に初出演 |
2011 |
元BLANKEY JET CITYの中村達也とユニットを組んでMANNISH BOYSを結成 |
2008 |
リリースしたシングルズ・ベスト『歌うたい15』でオリコンチャート最高4位に |
1995 |
同年代の一般女性と結婚 |
1994 |
3rdシングル『君の顔が好きだ』がヒット |
1993 |
「僕の見たビートルズはTVの中」でデビュー |
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ニヒルな風貌にギターをひっさげた姿は、まさにロックンローラーに相応しい。ギターをはじめ、ベース、ピアノからドラムやティンパニまでこなすマルチプレイヤーとして知られる。2009年放送の『情熱大陸』では、一人多重録音によるレコーディングの様子が放送された。
プライベートな面では大の猫好きというが、反骨ながらも愛らしい動物と戯れている姿を思うと微笑ましいギャップを感じた。 |
◎ 斉藤和義への道
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ミュージシャンとしては遅咲きなのかもしれない。上京したてのころ、目立った音楽活動をしていなかった斉藤を見かねた姉から「あんたは出る勇気がないだけ」という言葉をかけられたという。
しかし、「CD屋に自分のCDが数多く並んでいる」とのささやかにも思える夢は、この15年の活動でさらに大きく膨らんだ。無論、才能があればこそだが、夢を忘れなければ、その実現はきっと可能なはずなのだ。メジャーを目指す若手ミュージシャンたちは、その事実を忘れてはならないだろう。 |
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