台湾発祥のタピオカドリンクが日本に上陸し、世間一般においてもここ数年で認知が高まり、手軽なドリンクとして人気を呼んでいる。原材料である「キャッサバ」のモチモチした食感と、手軽なスイーツドリンクとして、女性からの人気が急上昇。そんな魅惑のアジアンスイーツにいち早く着目し、2004年6月に「BUBBLE MARKET」を立ち上げた末野氏。独立当時は奥さんと二人でのスタートだったという。そして4年経過した現在では、大阪・アメ村を中心に、全国で5店舗を展開するに至る。そんな彼のビジネスチャンスとの出会いと、行動へと移す力の源は、父から受けた幼い頃の教育へと遡る。
「小さい頃から父に『社会の歯車になるな』的なことを父に言われ続けてて。小さい頃からずっと自分はそういうもんやと思っていたんですよ。父は普通の会社員だったんですけど、回りにいた(親戚の)叔父さんが会社をやってる人が多かったんですよね。だから自分もそうなるもんやとずっと思ってましたね。(タピオカは)サラリーマンやってた時に、出張先の台湾や香港のコンビニで売っていたのが、ずっと頭に残っていて。いつかは独立すると考えてたんで、それがたまたまタピオカだったというところです。」
歩み出した自らの道は、家族や周りにいる仲間の存在なくしてありえないと語る末野氏。アメリカでの学生時代には、古着の卸業を営み、現在の基礎となる人脈やコネクションを作り上げる。先を見通す力と、着実に事を進めていくということは、事業主にとって不可欠な要素であろう。しかしモノにできる実力と、行動できる判断力は、自らで築き上げるほかない。
「店をオープンした時から、2年目ぐらいまでは筋書き通りに進みましたね。失敗も含めてもですけど、もともとの明確なプランもありましたし。昔から挫折が多過ぎで、挫折が普通になり過ぎたんですよね。でも2年目を過ぎてから従業員の存在の重みっていうのに気付きました。多店舗展開をしようとすると全て見回れる訳じゃないんで、店舗店舗の店長やマネジャーの子達の存在が非常に重要になってくるんですね。自分の思いを、代わりになってやってもらわないといけない。葛藤もありますけど、ただ今やってくれてる子達は感覚が合うというか、感性が似てるというかね。それがほんとにありがたくてね。(従業員は)ホントに、ホントにありがたい存在ですね。」
また軌道に乗らない時期を支えてくれた奥さんの存在も大きく、家族の話になれば思わず顔を綻ばす末野氏。さまざまな苦難やトラブルを経験しながらも、現在を築きあげた。しかし当の末野氏曰く「まだまだこれからなんですよ」と。揺るぎない考えを誇示しながらも、自らを客観視し“若輩”と形容する、若き事業家を支えるビジネス哲学とは?
「ほんと月並みなことなんですけど、100%自分を仕事に犠牲にすることでしょうね。1%でも自分個人のためにあれしようか、これしようかと思ったら駄目な気がします。最初の一歩目でつまずいたりすることでしょうね。しんどいことを進んで、妥協せずにやる。一番しんどいことをやるってことが、自分の力になるってことですね。ほんまにね〜、ケツ割らんってことですね。後は精神力だけですわ(笑)。今後は店舗数を増やしていきたいんですけど、もっと多くの人に知ってもらいたいというのが当面の目標ですね。具体的には決まってないんですけど、いま32歳なんで、35までに今とはまったく違うことを始めてみたいと思ってます!」
ターニングポイント1(22歳)
大学卒業と同時に就職。独立願望とは裏腹に、サラリーマンや、英会話スクール講師、塾講師など、さまざまな職を転々とし葛藤の時代。
ターニングポイント2(27歳)
「BUBBLE MARKET」を立ち上げる。経済的には不安定ながらも、念願のスタートを切ることができた充実した時期。
BUBBLE MARKET アメリカ村本店情報は
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