イースター島の巨石モアイ像
有名なイースター島の巨石モアイ像は、現在も様々な仮説が飛び交っている世界不思議の一つ。
【モアイ像】
【イースター島所在地】
イースター島(住民の言語では「ラパ・ヌイ(広い台地)」という。)
全周は60kmほど面積は180平方km(北海道利尻島とほぼ同じ)
オランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンにより発見されたのは1722年。
モアイ像にまつわる話
・当初は目があった。
・帽子を被っているモアイ像がある。
・体があるモアイ像もある。
・実は海を向いていない?
・宇宙人を模った像。
と、様々な謎を多くもっているモアイ像。
そこで、今回は
イースター島とモアイ像の関係について追求したい。
発見された当時は、1,000体をも超えるモアイ像と祈りを捧げる原住民を目にしていたと言う。
最初の島民は
ポリネシア人と言われており、中国大陸を起点とした人類が南下。台湾の人口が増えて渡った人々だと言われている。
ポリネシア人の社会は、
酋長を中心とする部族社会。
酋長の権力は絶対で厳然たる階級制度によって成り立っており、モアイ像は神格化された王や勇者達の霊の部族の守り神と言われている。
最初は、1人の酋長で代を重ねるごとに有力者が分家。
部族の数が増えるにつれてそれぞれの部族の集落ができモアイ像もその度に作られて増えて行った。
では、現代でも難しいモアイ像などの巨石の移動を可能にしていた文明があったのにもかかわらず衰退していった理由は何だったのだろう?
理由その一
モアイの運搬や設置の為に大量の木材を必要とされていたと言う説。
その為に、
大量伐採が行われ森を失い、その結果、肥えた土が海に流出。
土地が痩せ衰え、それに伴い人口爆発と深刻な食糧不足に陥り争いによってイースター島の人口は急激に減少していったと言われていた。
理由その二
イースター島の社会を崩壊させた武力闘争があったとされる説。
小さく細長い三角形の黒曜石で作られた石器で、武器として使われたと考えられていたのが
「マタア」と呼ばれるこの石器。
この
「マタア」の発見もあり、
部族同士の戦いで人口が危機的状態になってと言う仮説が成り立っていた。
近年の仮説
近年米スミソニアン自然史博物館自然人類学部門の責任者ダグラス・アウズリー氏は
「激しい戦闘の時代があったという
民族史的記録と人骨のデータが一致しない。組織的な戦いも大量殺戮も実際には存在しなかったのではないか?」という仮説を出した。
発掘された、400個以上の
「マタア」を分析した米ビンガムトン大学研究チームは、武器としての特徴を探し調べた
「マタア」は
縦と横の長さが6〜10センチで、形が様々な事から使用目的別に分類出来なかった。
「マタア」の分析をした米ビンガムトン大学のカール・リポ氏は
「70トンものモアイ像を1,000体近く築いた技術力を持っていた原住民が相手を殺すことのできる武器を作れなかったのではなく作らなかっただけだ」と言っている。
まだまだ謎と神秘に包まれた
「イースター島とモアイ像」
科学が進み解明される日が来るといいですが…
あなたはどう思いますか?