今回で5回目となったアスリートから学ぶ男前。第5回目はプロテニス選手の「錦織圭」先生から学んでいきましょう。
それでは錦織先生の簡単なプロフィールからご紹介します。
ジュニア時代からアメリカ留学
1989年12月29日に島根県松江市に生まれた先生は5歳の時からテニスをはじめ、グリーンテニススクールに通いはじめました。
2001年に全国選抜ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)、全国小学生テニス選手権大会、全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)の3大会で優勝を飾るなど、その才能は若くして一気に開花します。
2003年にはアガシやヒンギスなど数々の名テニスプレーヤーを輩出したテニスアカデミーの名門「IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー」の留学対象選手となり、日本テニス協会会長・盛田正明氏が運営する「盛田正明テニス・ファンド」の奨学金制度を受け渡米。
渡米以降アメリカのフロリダを活動の拠点に数々の大会で好成績を残し、アマチュアながら世界ランキング603位、日本人選手としては10位と既に日本人トップ選手の仲間入りを果たしていました。
プロ転向から世界のトップ選手入り
迎えた2007年10月1日、17歳と9ヶ月でプロに転向し翌10月のジャパンオープンにてプロデビューを果たすも、この時はシングルス・ダブルスともに1回戦敗退となりました。
しかし2008年には、松岡修三さん以来の日本人男子選手として2人目のATPツアーを制覇、2011年には日本人男子歴代最高ランクとなる30位にランクインするまでになったのです。
その後の活躍はご存知の方も多いと思いますが、グランドスラム準優勝、マスターズ1000準優勝、ATPファイナルベスト4など数々の功績を残し世界ランキング4位、アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破と日本だけの枠を飛び出し世界のトップ選手として今もなお活躍を続けています。
錦織先生から学んだ男前
そんな錦織先生を一言で表すと「ハングリー精神」という言葉につきると思います。
若干13歳で単身アメリカに留学する事を決意するその精神力、縁もゆかりも無く言葉も分からない地に「ただ、テニスが上手くなりたい」その一心で飛び込むその勇気と決断力にはただただ脱帽します。
さらに2年間の留学中、音を上げて日本へ帰る留学生が多い中、帰るどころか留学期間を延長し、活動の拠点もアメリカへと変えていくのです。
まとめ
10代の頃からテニスの先進国で世界のトップ選手と練習してきた事が、持ち前のハングリー精神と合わさって高いモチベーションを生み、世界に通用するトップ選手への階段を駆け上がる大きな力となっているのではないでしょうか。
そんな先生から男前に必要な、未知の世界へと飛び込む「勇気」と「決断力」そして、それらを支える「ハングリー精神」を学びました。