朝ドラで高橋一生が演じる
伊能栞(しおり)さんは「清く、正しく、美しく」
明日最終回を迎える、NHKの朝ドラ「わろてんか」。人気をけん引したのが主人公、てんを支え続けた伊能栞(しおり)(画:高橋一生)。そのモデルになったのは、阪急阪神東宝グループの創業者である小林一三と言われている。一体、どんな人物だったのか。
【阪鶴鉄道で監査役を務めていた頃の小林一三】
本業を発展させながら、情報、レジャー、文化というコンセプトを次々に生み出し、グループ全体の付加価値を高める―。情報文化産業の生みの親が小林一三だ。今も根強い人気を誇る「宝塚歌劇団」、日本のハリウッドを目指した「東宝映画」、新聞社を巻き込んだ「夏の高校野球」といったイベントを考案し、ビジネスとして発展・成長させた天才的起業家である。
阪急電鉄の経営を託された小林は、斬新(ざんしん)なアイデアで都市づくりに挑んだ。その一つが日本初の「ターミナル・デパート構想」。駅を商業施設と一体化させる事業は前例がなく、周囲では反対の声も聞かれたが、「素人だからこそ玄人では気づかない商機が分かる」と譲らず、事業を推進。その後、日本各地に広がった駅ビルを商業施設として活用し、まちづくりの中核に位置づける構想は小林のアイデアである。
今も高い人気を博す宝塚歌劇団も小林が生み出した。三越少年音楽隊を範に、宝塚新温泉にあった温水プールの跡地利用の一環として考案。温泉場の余興に―との発想から始まった。現在も宝塚歌劇団に受け継がれるモットー「清く・正しく・美しく」は小林の遺訓。「宝塚歌劇の父」という顔も持つ。
ダイエー創業者で多角的事業家であった中内功が全盛期、こんな話をしている。「わたしなんかがいくら頑張っても、しょせん、小林一三の掌(たなごころ)の上ですわ」。最大の賛辞であろう。
アイデアビジネスから見る男前と言える。
小林 一三(こばやし いちぞう)
1873年(明治6年)1月3日-1957年(昭和32年)1月25日(84歳没)
日本の実業家、政治家。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘は逸翁美術館。
日露戦争後に大阪に出て、鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め、六甲山麓の高級住宅地、温泉、遊園地、野球場、学校法人関西学院等の高等教育機関の沿線誘致など、日本最初の田園都市構想実現と共に、それらを電鉄に連動させ相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。
実業界屈指の美術蒐集家で、また茶人としても知られ、集めた美術品の数々は、彼の雅号をとって「逸翁(いつおう)コレクション」と呼ばれている。これらを集めた「逸翁美術館」が、彼の旧邸・雅俗山荘があった大阪府池田市にあり、美術館は以前は雅俗山荘の建物が使用されていた。雅俗山荘は小林一三記念館として一般公開されている。
近代日本料理の創始者とも言われる湯木貞一と親交が深く、彼が開いた料亭吉兆の初期の頃からの客であった。上客でもあったため、当時の料亭内では小林を「神様」と呼んでいた。