世界的に知られているアメリカの音響メーカー
『BOSE』。
高音質なスピーカーやヘッドホン、サウンドシステムといった革新的なアイテムを生み出している人気メーカーのひとつです。
今回はそんなBOSEを創り上げ、晩年まで駆け抜けてきた
『アマー・G・ボーズ』さんから仕事術を学びたいと思います!
アマー・G・ボーズ
アメリカ南東部の街フィラデルフィアで生まれたボーズさん。
幼少期から電気工学と電子工学の分野に興味を持ち、貧しかった家計を助ける為に、13歳でラジオ修理のビジネスを興し、フィラデルフィアでも一躍有名になりました。
そんな彼はマサチューセッツ工科大学(以下MIT)に進学、様々な知識を吸収しながらどんどん電気機器の開発を夢見ていきます。
在学中に買ったオーディオが、100%原音忠実再生を謳った物だったのに、実際に聞く音がそう感じられなかった事がきっかけで音の研究に没頭します。
卒業後もMITで教鞭をとりながら電気機器に関する多くの特許を取得し、1964年にMITの研究室にBOSE社を立ち上げたのです。
あのBOSEの始まりが大学の研究室だったとは驚きです。
いくら自分の好きな事とはいえ、一つの分野に集中して生きていく事は生半可な想いでは成しえません。
たったひとつのオーディオをきっかけにスピーカーから出る音と、人間が聞いている音の違いに興味を持ち、突き詰める感性を持っていたボーズさんだからこそBOSEをここまで絶対的な存在にしたのではないでしょうか。
諦めない気持ち
BOSEの代表的な開発と言えば、今でこそ多くのヘッドホンに定着している「ノイズキャンセリングシステム」です。
1978年飛行機に乗ったボーズさんがヘッドホンを装着するも飛行機の騒音が酷く非常にショックを受けたそうです。
そのまま機内で方程式を書き始め、着陸時には方程式は完成していたというのですから着眼点、頭の良さ等が感じられます。
正直、音に対して方程式ってなんだ?としか考えられない自分にとっては天才の一言です。
しかし「ノイズキャンセリングシステム」が実際に製品化されるまでは10年もの歳月と約50億円という研究費が費やされました。
もちろん他の商品を売っているので経営自体はまわっているのでしょうが、それにしても果てしない月日と費用ですね。
ここまで諦めなかったのは、使う人のことを考えればこそ。
誰もが不満に感じていたヘッドホンの騒音問題を解決する事でより良い音を聞けるようにする為です。
母校への恩返し
ボーズさんは2013年に83歳でこの世を去っていますが、晩年最後の仕事として母校であるMITに自分の持つBOSEの株を寄付。
これは恩返しという気持ちだけでなく、MITとBOSEにとって素晴らしい役割を持つ事になりました。
MITは株によりBOSEの利益によって配当金を受け取り、在学している研究者の育成にあてる。
その研究者は将来BOSEに入社する可能性があり、優秀な研究者はBOSEに大きな利益をもたらし、その配当金がMITへ…と、会社が発展することで更なる研究開発を続けていける循環システムを作り上げたのです。
BOSEは株式公開していない非上場企業。
利益や会社の規模を考えればしていてもおかしくはない程ですが、「目先の利益に追われず、常に研究しチャレンジし続けるため」にあえてしていないのです。
こういった向上心を会社として持っていたからこそ、母校MITへの株の寄付といった広い考え方ができたのではないでしょうか。
いかがでしたか?
ボーズさんは「想像力と探究心」を大切にしていました。
常に物事を考え、何かを生み出し続ける為に、想像力と探究心を磨き続ければ大きな成功を成し遂げる事ができるのではないでしょうか。