必要なものをリストアップ「ミニマリスト」
とかく年を取ると覚えが悪くなるもので、スポンジのようにさまざまなものを吸収していく幼少時代が懐かしく思います。そして、それは脳内に限ったことではなく、長く生きてくると、人間関係であったり、生活しているあらゆるものが増えていきます。
何年か前から、ブームになっている「断捨離」。それは、人が生きていく過程で、ものが増えてくるからこそ、求められるものなのでしょう。
そして、今年、「ミニマリスト」と言うコトバが、流行語大賞にノミネートされました。そこで、前回にひきつづき、流行語大賞ノミネートつながりで「ミニマリスト」を調べてみました。
アートからはじまった「ミニマリズム」
「「ミニマリスト」を紐解くと、まずその始まりである「ミニマリズム」に行き着きます。1960年代に美術や建築、音楽の分野でさまざまな要素を最小限度まで集約していこうとしたムーブがありました。それを「ミニマリズム」と呼び、ミニマル・アートとして芸術の分野で、おもにアメリカで広がりました。
「ミニマリスト」は、まさに「ミニマリスト」から
ときは近年、2009年頃に、「The Minimalists」という2人組がアメリカに現れ、「ミニマリスト」を提唱します。
豊かさはお金、大金を稼ぎ、たくさんのものを買ったが、ココロは満たされることはなかったと彼らは言います。資本主義がもたらす、物質主義的な、拝金主義的な価値観に人は陥りやすい。何のために働き、何のために稼ぐのか。「ミニマリスト」は、実際に身の回りのもの捨てていくことによって、物質主義的な価値観からの脱却を図ろうとしています。ついに2012年は、15個しかものを持たない「ミニマリスト」がアメリカに現れたそうです。すごいですね。私は鍵だけで8個持っています(笑)。
ココロの自由こそが豊かさ
それでは「シンプリスト」とは、どう違うのでしょう?シンプリストは、物事、あるいは生活様式を単純化することに目指しています。生きていくことを飾り気なくカンタンに、ある意味いろいろと考えることから抜け出せますが、シンプルといった尺度が常に存在します。「ミニマリスト」は最小限化を目指しています。単純とかではなく、まさに最小限。ものに囚われない、こころの自由こそが「ミニマリスト」の求めるものではないでしょうか?そして、物質主義になりがちな現代のアンチテーゼとして、その存在が注目されているのでしょう。
さいごに
先に流行した「断捨離」。もともとはヨガの修行方法の考え方で、それを人生や生活様式に取り入れたもののようです。「断」が入ってくる要らない物を断つこと。「捨」は、ずっとあった要らない物を捨てること。そして、「離」は、物への執着から離れること。「断捨離」と「ミニマリスト」は、同じ考え方、手法で、さまざまな価値観が混沌とした現代社会に、また新たな価値観を提唱してくれています。私も近年少なからずとも「ミニマリスト」傾向になってまいりました。しかしながら、物欲などの煩悩は私にとって、仕事の、そして生きることの原動力の一つになっているので、完璧なる「ミニマリスト」になることはないのでしょう。しかし、物質主義的価値観に毒されることなく、社会のため、人生を楽しく送るために、よい仕事をしていこうと思う今日この頃です。