つい先日、次世代型ゲーム機「Nintendo Switch(ニンテンドー スイッチ)」が発表されたり、なつかしのファミコンを小型化した
「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」が発売されたりと、注目を集めているゲーム会社「任天堂」。
僕も小さい頃から今も任天堂のゲーム機で楽しく遊んでいます。
シオカラーズかわいい。
そんな任天堂を支え、稀代の天才と呼ばれた元社長
『岩田 聡』さんから仕事術を学びます!
岩田 聡
北海道札幌市出身。
高校時代にプログラミングの魅力に取り憑かれ、独学でプログラムを勉強、「スタートレック」を題材にした自作のゲームを作り、学校の友達に披露していたそうです。
大学1年時は、入学祝を頭金にローンを組んでコモドール社のホームコンピュータ「PET 2001」を購入、ますますプログラミングの世界に魅入られていった。
大学卒業後は株式会社HAL研究所(通称:HAL研)の正社員となり、ソフトウェア開発を担当する。
入社2年目の時に、任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されると、これに関心を持った岩田さんは直接任天堂に仕事請負を申し出て、いくつかのソフトのプログラミングを担当したことが任天堂との出会いでした。
経営者としての手腕
プログラマーとしての才能を発揮していた岩田さんに転機が訪れます。
HAL研が多額の負債を抱えて経営危機に陥った中で、代表取締役に岩田さんが就任しました。
これは、「岩田が社長をやるなら助ける」という援助者が現れたことがきっかけだそうです。
それまで経営とは無縁の立場でしたが、社長として優れた経営手腕を発揮。
ヒット作にも恵まれ、なんと15億円あった負債を6年で完済、HAL研の経営再建を成し遂げました。
社長として、会社や仕事への不満を聞き取る目的で全社員との面談を実施したことで、『社員との対話が組織運営力や勤務意欲の向上に繋がる』と確信、その後の任天堂社長時代にもその体制は受け継がれていたそうです。
突然の社長就任、しかも多額の負債がある状態です。
普通の人なら怖くて断ってしまいそうな状況でも、岩田さんは周りの意見を聞くことで、状況を打破・改善していきました。
これだけ落ち着いていられるのは、自分が今まで積み上げてきた様々な物事がしっかりと土台となっているからでしょう。
継続は力なりですね。
任天堂社長への抜擢
HAL研を経営危機から救った岩田さんは任天堂から声をかけられ、取締役経営企画室長として入社。
そのわずか2年後、2002年に当時任天堂社長であった山内氏から指名を受け、代表取締役社長に就任。
これまで、任天堂の社長は創業以来、山内家の同族経営でしたが、その殻を破り入社2年目の岩田さんの抜擢は異例だったそうです。
それでも周りが納得したのは、岩田さんの手腕が確かなものだったからです。
任天堂のトップとなった岩田さんは、ゲーム人口の拡大を基本戦略に次々と新しいゲーム機を開発。
タッチパネルを搭載した2画面携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を使った「脳を鍛える大人のDSトレーニング(通称:脳トレ)」は社会現象になるほどの人気でした。
伸び悩んだゲーム機や失敗した戦略もあったものの、ゲームキューブ等の時代から次世代機と呼ばれる最新ゲーム機を世に送り出してきたのは紛れも無い事実です。
岩田さんは「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。心はゲーマーです。」と語っています。
これこそがゲームファンと同じ目線で物事を考え、必要とされている物を生み出す根本なのだと思います。
晩年は、胆管腫瘍のため、代表取締役社長に在職中のまま逝去。
突然の死に世界中が落胆しました。
このことからもゲームファンから愛されていた事がよくわかりますね。
「自分が何に向いていて、何をすれば周囲に認めてもらえるかを一生懸命探していれば、必ず仕事のチャンスはくるし、そういう人のところに運も巡ってくるんじゃないでしょうか。」と岩田さんは言います。
人の上に立つことだけが全てではなく、自分にできる事を考え行動していれば、周りはそれを見てくれているという事ですね。
どんな状況でも諦めずに、自分にできる事を探し、しっかりと行動する。
これができれば自身の経験も周りからの評価も大きくなるのではないでしょうか。